Logo
employee blog

社員ブログ

言葉処 其の61「蒸しパンが食えない」

2008-10-28

藤原俊成に「またや見ん交野の御野の桜がり花の雪散る春の曙」という和歌がある。桜狩りは、リンゴ狩りのようにして桜の花びらを集めるという風流な遊びだが、文芸批評家の渡部直己によると、この「さくらがり」は「さ・暗がり」のことだそうだ。むろん、俊成にその意識はなかったと思うが、俊成82歳、最晩年の心境はそこに小さな暗がりを見たということだろう。


これと同じような言葉の変換を偶然やってしまうことがよくある。子どもの頃、何かで「身体障害者賞」なる賞をもらったが、賞状授与でそう言われたときは「身体小会社賞」と書くのかと思った。理科の授業では「クエン酸」を使ったが、塩酸の一種と勘違いして戦々恐々だった。関係ないけど、先生が「アミノ酸」というたびに級友の「網野さん」が微妙に反応するので笑えた。


中学生になると、日本語ですら混乱している頭に英語が入ってくる。「あまのじゃく」とは妖怪の名でもあり、他人の言うことを聞かないへそ曲がりのことでもあるが、英語風に発音して「天野JACK」(日系人か!)と笑い、逆に犯罪組織の意味もある「シンジケート」という英語は、「真司・ケイト」という二人組を連想させた。「ヒデとロザンナ」の影響だったかもしれない。


語感というのは怖い。音だけで「餡かけ焼きそば」と言われ、「あんこを掛けてどうする!」と敬遠し、横浜名物「サンマーメン」は秋刀魚が丸ごと乗っているのかと……なわけはないのだが、固着したイメージはしぶとい。頭では分かっていても「蒸しパン」などと言われると、パンにまぶされた干しぶどうがダンゴムシか何かに見えてしまい、どうしてもムシできない。(黒)