言葉処 其の55「アクセントの平板化」
2008-09-16
20年も前の話だが、ゴルフに行ったとき、キャリーバッグを前に「吸盤がない」とボヤいている若い兄ちゃんがいた。はて? ゴルフに使う吸盤とは? と思った直後、はたと気づいた。彼が探していたのはアイアンの「九番」だったのだ。そのときは、おかしなアクセントだな、どこの地方の発音だろうかと思ったが、思えばあれは若者の皆平板アクセントのはしりだった。
ただ、平板な発音は、外来語ではかなり昔から見られた。英語は頭高アクセントが多く、語尾の子音はほとんど発音しないから、「cup」「head」を「カップ」「ヘッド」のように日本語っぽく語尾をはっきり発音すると、相対的にアクセントは平板化する。私見だが、これが漢語や和語にまで影響し、「カレシ」「カノジョ」といった発音を生んだのではないかと思う。
ただ、外国語を日本語に混ぜる場合、そこだけ外国語っぽく発音すると浮いてしまうので、日本語的に発音するのは分かるが、なにゆえ「九番」を「吸盤」のように言うのか。頭高アクセントの、あの息を溜めるような緊張感がかったるくてフラットに発音するのか。でも、それでは「改心」と「会心」、「維新」と「威信」などは区別がつかなくなってしまう。なんだかなあ。
けれど、今の中年も昔は「新人類」などと言われ、当時の大人に「なんだかなあ」と言われた口だった。ナポレオンが発掘したロゼッタストーンには紀元前の文字が書かれており、解読してみれば、なんのことはない、「最近の若い者は……」という愚痴が書かれていたそうだが、年をとれば若者のことが理解できなくなる。そんなことを2000年も繰り返して今がある。(黒)



