言葉処 其の54「 『づ』と『ぢ』の命運」
「口遊む」は「遊む=すさむ」に濁点だから「ずさむ」だ。という「ず」と「づ」の識別法を国語の授業で習ったと思うが、これが一筋縄ではいかない。「躓く」は「爪突く」の意なのに「つまずく」で、「頷く」(項突く)は「うなずく」。「いづれ」「少しづつ」「腕づく」も今は「いずれ」「少しずつ」「腕ずく」と書く。でも「気付く」「すし詰め」は「気づく」「すしづめ」……。
複合語になる際に濁点がついたものは元の言葉に準じ、「一里塚」「三軒茶屋」なら「づか」「ぢゃや」となり、また「つづく」「ちぢむ」のように「つ」「ち」が続く場合も「づ」「ぢ」を使う。しかし現代仮名遣いでは、一体化した言葉や、「地面」「地震」のような語頭の「ぢ」は、「ち」が変化したものでないと判断し、「じめん」「じしん」と書く。「づ」で始まる言葉はない。
「づ」と「ず」、「ぢ」と「じ」は江戸の元禄の頃までは違う音だったが、江戸っ子はこれらを聞き分けることができず、江戸弁を元にした共通語でも同音となり、原文一致を標榜する明治政府によって同じ字にされた。ちなみに仮名の発音は奈良時代には88音(清音だけで61音)もあったそうで、当時の発音を聞くとまるで狂言だ(というより狂言が昔の発音に忠実なんだな)。
発音は同じになっても「手塚」「小千谷」は「てづか」「おぢや」が正しい。しかし、そもそも「づ」「じ」の発音は「d」ではなく、ローマ字で「teduka」「odiya」とすると「てでゅか」「おでぃや」と読めてしまうので「tezuka」「ojiya」と書かれ、これをそのまま仮名に戻すと「てずか」「おじや」になってしまう。「てずか治虫」なんて漫画家はいないし、「おじや」は雑炊だ。(黒)



