言葉処 其の49「意味は流体」
2008-08-05
文化庁の国語世論調査によると、慣用句や言葉の意味について70%以上の人が本来の意味を取り違えていたそうだ。「檄を飛ばす」は「激励」「鼓舞」の意味で使われることが多いが、「自分の主張や考えを広く知らせて同意を求める」こと。「さわり」は「話などの要点」(正解35%)で、55%は「話などの最初の部分」と勘違いしていた。「さわり」はイントロではなくサビだ。
かく言う私は20年前、アイデアが出なくなるという意味で原稿に「アイデアに煮詰まる」と書いて、校正者の方に「『煮詰まる』は考えがまとまることですよ」と指摘された。当時は「最近、煮詰まっちゃって」というような言い方が出始めた頃で、それに影響された。と言っても言い訳にしかならないが、「煮詰まる」はなんとなく煮込みすぎて焦げついた負のイメージだよね?
「憮然」を「腹を立てている様子」と誤答した人は71%で、「失望してぼんやりしている様子」とした人は17%だったそうだ。しかし、誤用のほうを載せている辞書もあり、これはまさに意味が変わりつつある言葉なのだろう。だから正誤はつけがたい。それにお気楽に考えれば、71%が誤用しているのなら間違ったなりに意味は通じているのだからいいじゃん!とも言える。
そもそも「昔は違う意味だった」と言ってもきりがない。「犬」という言葉しかないところに「山犬」の語が生まれれば、意味のすみ分けが起きて「犬」の意味は狭くなる。逆に「猫、山猫、虎、豹……」とあり、「猫」以外は死語になった場合、すべての猫属を指す言葉は「猫」一語が請け負うことになる。言葉は意味がじわじわと変化していく流体。だから固定はできない。(黒)



