言葉処 其の48「原文不一致」
2008-07-29
天気予報を言う際、某氏は「降るでしょう」ではなく「降りましょう」と言っていた。最近は恒常的な異常気象で予報も当たらないから、ここは語感も控えめに「ましょう」と言おうなんて意図だったか。しかし、現代語では「行きましょう」(勧誘)、「持ちましょう」(意思)とは言うものの、「着きましょう」(推量)と言うことが少ないせいか、「降りましょう」には違和感を覚えた。
もっとも昔は「でしょう」も変だった。「でしょう」は推量を表すが、戦前までは未来のことを言う場合、口語では単に現在形で「雨が降る」と言った。ところが、天気予報でそう言ってしまうと断定的すぎることから、「降るでしょう」を採用した。今はごく普通の言い方だが、戦後初めてこの言葉がラジオで流れた際、多くの人が「あんな日本語はない」とかんかんだったそうだ。
もちろん、「降るでしょう」という言い方もないわけではなかったが、それは文章語的であり、会話では使わなかった。原文一致運動から久しい当時でも必ずしも原文は一致していない。今も同じ。口語ではラ抜き言葉と意識しつつもつい使ってしまうことがあるが、文章語は文字という形があるから保守的で、簡単には変わらない。その対応の時間差が原文不一致を生む。
しかし、いつかは慣れる。文章でしか使われなかった「あらかじめ」「ことごとく」(口語では「かねて」「すべて」)といった言葉も今はごく普通に会話に用いられるように、くだけた会話でしか使わないようなラ抜き言葉も、これが死語にならない限り、いつかは違和感なく文章に書けるようになる。ところが慣れた頃にまた新語が出てきて……。原文一致の道は果てなく続く。(黒)



