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社員ブログ

言葉処 其の47「生ける屍、迷える子羊」

2008-07-22

「はないちもんめ」の歌詞に「鬼が怖くて行かれない」とあるが、「行かれない」は「行く」の未然形に「れる」を付けた可能動詞「行かれる」の否定形で、このほうが規範的なのだそうだ。しかし、江戸時代後期には「行けない」という言い方に変わる。ドリフのズンドコ節の「可愛いあの子が忘らりょか」の「忘られようか」や、関西弁の「言われへん」も同じく古い言いまわし。


「行く」の可能動詞は「行ける」だが、では「生きる」の場合は? むろん「生きられる」だが、これを「生ける」だと思ってしまうと、「生ける屍」が「生きることができる屍」になってしまう。「生ける」は「生く」の已然形に完了の助動詞「り」が付き、「生けり」の「り」が連体形の「る」になって「生ける」になったもので、これは可能であることではなく、状態を表すもの。


1980年に「文藝賞」を受賞した中平まみの「ストレイ・シープ」は「迷える羊」という意味だが、この「迷える」も可能動詞ではなく、「生ける」同様、「迷へり」から「迷へる」になり、現代では「迷える」と書くようになったもの。「迷う」は五段活用だから可能動詞は「迷える」だが、迷うのは人の意志ではないので、そこに可能も不可能もなく、だから可能動詞にはならない。


「れる・られる」には「可能・受身・自発・尊敬」の用途があり、紛らわしくていけない。以前、高名な国語学者にラ抜き言葉について聞いてみると、「『行ける』という可能動詞が生まれ、敬語や受身などの『行かれる』と区別できた。『見れる』も同様に、『見られる』と区別できるからちょうどいいよ」とあっさり。でも会話ならいいが、書き言葉ではまだ躊躇してしまうよね?(黒)