言葉処 其の44「広告の言葉と印象」
2008-07-01
戦前のCMは商品名、社名の宣伝を最優先にしたものが多いそうだが、少し時代を経ると、類似商品との差別化を図るため、昔の養命酒のCMのように特徴や差異を滔々と述べるようになる。さらに、1980年代になると競合商品は激増し、言葉の足し算だけでは消費者の記憶に残らなくなり、そこで登場したのが、商品特性ではなく印象を残すという手法のCM だった。
内田裕也がただハドソン川を着衣のまま泳ぐシーンが流れ、「なんのCM?」と思った瞬間、「PARCO」とだけ出る。シュールレアリスムのデュシャンが市販の便器に「泉」のタイトルを付けて展示したところ、みな「なるほど」と感心したという逸話があるが、意味が分からないと人は意味を考えてしまう。結果、印象に残る。PARCOのCMはこの手法を髣髴とさせた。
さて、言葉の話題。以前、「パンダをさわったこと、ありますか?」というコピーがあった。「さわる」は自動詞で目的語はとらないから、規範文法的には「パンダをさわる」ではなく「パンダにさわる」と言うべきだが、場所を示す場合は「髪をさわる」といった言い方もする。だから混同しやすい。というより、「パンダをさわる」は今まさに正誤の途上で揺れている言葉だろう。
最近は「それ、お茶であるんですけど」というコピーが気になっている。「お茶なんですけど」と言ったほうが普通だと思うが、それでは妥当すぎて印象に残らないうえ、否定的な語感も出てしまうから、敢えて「お茶であるんですけど」としたのだろう。「パンダをさわったこと」もそうだが、妙に引っかかって考えてしまった。作者の狙いは、実はそこにあったんだったりして!(黒)



