言葉処 其の38「新字と旧字と略字」
「圖」や「晝」は行書を楷書化して今は「図」「昼」と書き、「應」「藝」は画数の多い部分を省略して「応」「芸」に、「聲」「縣」は一部分だけを生かして「声」「県」と書く。また複数の字体があった「鯖」(青の月が円)や「辻」(「しんにょう」の点が二つ)などは一本化された。ほか「國、辨、絲、櫻、豫、邊、鐵」などの旧字も簡略化されて「国、弁、糸、桜、予、辺、鉄」となった。
「學」のかんむりは「鳥の巣の中の雛」を表していると聞いたことがあるが、「学」と書いてしまえばそれは分からない。「闘」は新字では「もんがまえ」で、大砲の数え方が「一門、二門」だからそこから来たのかと思ったが、旧字では「鬪」と書き、本来は「たたかいがまえ」であると知って納得した。簡略化を推進すれば表意文字の機能は失われ、最終的には単なる記号と化す。
庶民が勝手に漢字を略す場合もある。「くにがまえ」の中の「玉」(または「或」)を略して「□」とか、「歳」の右下の部分だけを書いて「才」で済ますとか。「三ヶ所」などの「ヶ」は「箇」の字の「たけかんむり」の片方だけを書いたもの。だから「ケ」ではなく「カ」と読む。ほか「摩」の「まだれ」の中を「マ」としたり、「機」の旁の部分を「キ」としたりする略字もある。
漢字の簡略化は中国も同じで、いつだったか「愛」という字の中央部を省略して「受」に似た字にしようという案があり、簡略化はいいが、「愛」から「心」を取ってはシャレにならないと揶揄された。そのせいかは分からないが、今では「愛」のかんむりの下に、「ふゆがしら」ではなく「友」に似た字を書いているそうだ。今度、「福原愛」の中国語表記で確かめてみようっと。(黒)



