言葉処 其の36「『私的』と『私な』」
和語は述語が少ないから、「感動する」「ゲットする」のように漢語や外来語を動詞化して間に合わせている。以前、「タバコする?」という広告コピーがあったが、このように「する」を付ければなんでも動詞になる。ただし、原則、動作や感情を表す言葉に限られ、そうでない場合、「タバコを吸う」のように「名詞+を+特定の動作や感情を表す動詞」でないと違和感がある。
「目的的」は辞書にある言葉だが、最近「素敵的」なる言葉を発見した。今では「素敵」と書くが、これは「素晴らしい的」の略だから、「的」を重ねてはなんだかおかしい。もっとも形容詞の「素晴らしい」に「的」を付けるのも変だけど。また、名詞だったらなんでもいいとばかりに最近では「私的」といった造語が量産されているが、中にはいい加減にしろ的なものもある。
「的」にはいくつか用法があり、「個人的意見」は「個人としての意見」だから意味は助詞の「の」に近い。「父親的存在」は「父親のような存在」だから、そう言われた人は父親ではない。しかし「人間的な人」は「人間に似た人」でも「宇宙人」でもなく、「人間らしい人」という意味。これら「的」は昭和になって広まったが、多用すると硬さが目立つし、スマートでない印象もある。
最近では「私的な」を「私な」と言ったりする。「新鮮な」「罪な」「乙な」「味な」とも言うから、「名詞+な」で「私な」でもよさそうだが、「な」は「きれいな」のように形容動詞の語幹に付き、実は「新鮮」「罪」「乙」「味」は形容動詞でもある。ところが、室町時代の『閑吟集』に「独り寝はするとも 嘘な人は嫌よ」とあって驚いた。なんて21世紀的な、いや21世紀な表現!(黒)



