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社員ブログ

言葉処 其の33「豊川誕って知ってる?」

2008-04-15

1970年代、豊川誕というアイドル歌手がいて、級友に話すとファンだと言う。「でも誕と書いてジョーって読む?」と聞くと、「読むよ、だって誕生日のジョーでしょう……あれ? ジョーは『生』のほうか。うーん」二人して悩んでしまった。結局、「豊川生」では画数が少なく安っぽいからという結論に達したのだが、それなら「豊川譲」でもいい。名前だからなんと読ませようと自由だけど。


同じ頃、「つかれる」は「労れる」と書くのだと思っていた。ところが、級友に指摘されて確かめてみると、当然ながら「つかれる」は「疲れる」であり、「労」の訓は「ねぎらう」または「いたわる」だった。「打撃」は「打」も「撃」も「うつ」と読み、「超越」は「超」も「越」も「こえる」と読むが、「疲労」も同様に同じ意味の漢字で構成された熟語と勘違いして取り違えたようだ。


ただ、戦前までは漢字使用はかなり自由だったらしく、個人の判断で「労(つか)れる」と書きたければそれも許されたらしい。しかし、それでは混乱するということで、1946年、一般の社会生活で用いる共通性の高い漢字として当用漢字が、次いで1981年、新たに常用漢字が定められ、これにより公文書や新聞の記事などは常用漢字にのっとって書かれるようになった。


常用漢字は1945字とかなり絞り込んであり、使えない漢字、音訓が多い。「空しい」はいいが「虚しい」はだめ。「思う」はいいが「想う」はNGで、「かかわる」に至っては「関」も「係」も表外音訓だから「かかわる」と書くしかない。常用漢字は目安であって制限ではないとはいえ、こんな平易な漢字が使えないとは解せない。ま、音読みで「関する」と書けばいい話だけど。(黒)