言葉処 其の32「母の中に海がある」
三好達治の『郷愁』という詩の中に、〈海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。〉とある。〈「海」には「母」がいる〉のほうはおいておくとして、アルファベットやかなのように単語を組み合わせる言葉の場合、〈母(Mere)の中に海(Mer)がある〉のように、言葉の中に別の言葉を見出してしまうことがよくある。
東南アジアにスナドリネコという泳ぎが得意な猫がいるが、「砂取る」とはどんな生態かと思った。しかし「すなどる」は「砂取る」ではなく、漢字で書けば「漁る」、つまり魚を獲るという意味だった。「未だに」「繙く」「偏る」「象る」「弄ぶ」「蠢く」も、言葉の意味に合う漢字を勝手に当てて、「今だに」「紐解く」「片寄る」「型取る」「もて遊ぶ」「動めく」と書きたくなってしまう。
「嘯く」になると「嘘吹く」で正解のようにも思える。ただ、「嘘」の語源は「うそぶく」から来ているという説もあるが、そうではないという説もあり、また、「嘘=偽る」と「嘯く=とぼける、ほらを吹く」も意味が異なるから、「嘯」の字は当てても「嘘吹く」は正解としないとされたのだと思う。「坂上る」(遡る)、「色採る」(彩る)、「うず高い」(堆い)も同じく誤用とされている。
「さまよう」は「血迷う」と似ているからか「さ迷う」と書きたくなるが、「さ」は「小さい」を意味する接頭辞だから、それでは「少し迷う」という意味になってしまう。漢字を当てるなら「彷徨う」「彷う」「徨う」だが、それをやっていると異字同訓が“帯正しい数になるから口差がない人に鎌びすしく靴返されて賽なむ前に異深しい言葉にたず触ることは尻ぞ蹴る”ほうがよい。(黒)



