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言葉処 其の17「方言の『だに』と助詞の『だに』

2007-12-25

郷里埼玉には語尾に「だに」をつける方言が一部に残っている。若い頃はそれを恥のように思っていたが、高校時代、太宰治の『魚服記』に「くたばった方あ、いいんだに」とあるのを見つけ、方言を認知された気がして狂喜した。ただ、「だに」が太宰の出身地津軽から埼玉までの東日本一帯で使われている言葉なら、それほどの広範囲に流布しているものを方言と断じてよいのかとも思った。


太宰には『右大臣実朝』という鎌倉幕府三代将軍源実朝を題材とした小説もある。百人一首に「世の中は常にもがもな渚こぐあまの小船の綱手かなしも」とあり、詠み人は「鎌倉右大臣」と記されているが、これは実朝のことだ。この実朝の金塊和歌集に「もの言はぬ四方のけだものすらだにもあはれなるかなや親の子を思ふ」とあり、一瞬、「実朝もだに言葉を?」と思ったが、この「だに」は「だけ」「すら」という意味の副助詞だった。


太田道灌の伝説には「七重八重花は咲けども山吹の実の一つだになきぞ悲しき」という和歌が出てくるが、ここでも「だに」が使われている。ちなみに山吹は、花は咲くが結実しない徒花(あだばな)で、だから「実の一つすらない」のだが、なぜ実が生らないのかずっと不思議だった。それで調べてみると、「山吹は大陸から雄花だけが持ち帰られた種だから」とあった。経緯は理解できたが、植物に雄と雌があるという事実のほうに驚かされた(って常識?)。


閑話休題。狩りの途中、村雨に遭った道灌は農家に雨具を所望し、紅皿なる娘は山吹の枝を差し出す。枝では雨は凌げんよ。茫然とする道灌に近習の者が言う。「実の一つだになき」と掛けて、貧しくて貸す「蓑一つなき」と言いたいのだと。道灌は農家の娘ですら知っている兼明親王の和歌を知らなかった無知を恥じ、以降歌道に精進。また、しばしば城に紅皿を呼び、今風に言えば二人は和歌友になる。


この山吹伝説は埼玉県越生、豊島区高田、荒川区町谷説などがあり、新宿中央公園にはこの逸話をもとにした「久遠の像」がある。初めに見たときは、高層ビルの下、男性に跪いて山吹を差し出す女性の像を異様に思ったが、伝説を知るに及び、この像には男女差別や封建社会を是認する意識は微塵もないと知った。「蓑一つだになき」は悲しいが、「知の一つだになき」は恥ずかしい。(黒)